なめこ丼。 [area]
錦。 [area]
河津桜 2012. [area]
湯豆腐。 [area]
天下の台所。 [area]
復興に向けて…。 [area]
東日本大震災からそろそろ1年が経とうとしている頃、
阪神淡路大震災からは17年が過ぎていた。
その阪神淡路大震災の復興のシンボルとして神戸市内の三宮東遊園地に設置されている
「1・17希望の灯り」を訪れてみた。
今、この「希望の灯り」を東北の地に分灯する動きが見られているようです。
そしてもう一つ、復興のシンボルと言えば原寸大の鉄人28号。
共の震災とも被災していない私にとって、無責任に多くを語ることは出来ませんが、
復興に向けて人の心には「静」と「動」が必要なのかもしれません。
であれば、“希望の灯り”が「静」の支えで、“鉄人”は「動」の支えのように見えます。
先日、首都直下型の巨大地震が起きやすくなっているとの見解が示されたばかりですが、
私の住む小田原は関東大震災の震源地付近と言われています。
その地震は70年周期と言われており、過去を振り返ると…
1633年:寛永小田原地震(M7.0)
↓(70年後)
1703年:元禄地震(M7.9~M8.2)
↓(79年後)
1782年:天明小田原地震(M7.0)
↓(71年後)
1853年:嘉永小田原地震(M6.7)
↓(70年後)
1923年:関東大震災(M7.9)
↓(89年経過)
現在
備え、心構えは必要でしょうね。
阪神淡路大震災からは17年が過ぎていた。
その阪神淡路大震災の復興のシンボルとして神戸市内の三宮東遊園地に設置されている
「1・17希望の灯り」を訪れてみた。
今、この「希望の灯り」を東北の地に分灯する動きが見られているようです。
そしてもう一つ、復興のシンボルと言えば原寸大の鉄人28号。
共の震災とも被災していない私にとって、無責任に多くを語ることは出来ませんが、
復興に向けて人の心には「静」と「動」が必要なのかもしれません。
であれば、“希望の灯り”が「静」の支えで、“鉄人”は「動」の支えのように見えます。
先日、首都直下型の巨大地震が起きやすくなっているとの見解が示されたばかりですが、
私の住む小田原は関東大震災の震源地付近と言われています。
その地震は70年周期と言われており、過去を振り返ると…
1633年:寛永小田原地震(M7.0)
↓(70年後)
1703年:元禄地震(M7.9~M8.2)
↓(79年後)
1782年:天明小田原地震(M7.0)
↓(71年後)
1853年:嘉永小田原地震(M6.7)
↓(70年後)
1923年:関東大震災(M7.9)
↓(89年経過)
現在
備え、心構えは必要でしょうね。
異人館。 [area]
先週のコンプライアンス休暇前半に出かけた三都物語初日のお話。
神戸には異国情緒豊かな明治期建築の洋館が建ち並んでいます。
時の頃、1858年(安政5年)に日米修好通商条約の批准により、後に神戸港が開港され、
鎖国状態であった日本に外国人居留地が設けられ、外国文化がどっと流れ込んできたようです。
当時は日本側に厳しい不平等条約であった日米修好通商条約が、
平成の今、振り返ることで当時の異国文化を知る観光地となったもの皮肉なものですね。
そんな洋館には意匠が凝らされた重厚なアンティーク家具が並び、
甲冑などをインテリアとして飾り、
当時は仕事道具であっただろうタイプライターも、今となってはインテリアです。
なかでも調度品には生活感を感じるものが多く、
お酒を楽しむ社交場としての空間には、とびきりセンスが光っています。
更には調理場を公開しているところもあり、
明治期とは思えない文化を感じることができます。
そんな調度品もフランスの老舗ブランドが作るスーツケースで運ばれていたようで、
古今、良きモノは時代に流されず愛されると言うことを象徴しているかのようです。
このような歴史の証人でもある異人館も、最盛期には100棟以上建ち並んでいたようですが、
戦火や都市計画、老朽化に災害等によって姿を消し、今では20数棟だけとなってしまったようです。
現代日本の街並は、あまりにも広告看板に満ち溢れ落ち着きのなさを感じます。
この中途半端に取り入れてしまった資本主義偏重の街並みを変えていきたいですね。
神戸には異国情緒豊かな明治期建築の洋館が建ち並んでいます。
時の頃、1858年(安政5年)に日米修好通商条約の批准により、後に神戸港が開港され、
鎖国状態であった日本に外国人居留地が設けられ、外国文化がどっと流れ込んできたようです。
当時は日本側に厳しい不平等条約であった日米修好通商条約が、
平成の今、振り返ることで当時の異国文化を知る観光地となったもの皮肉なものですね。
そんな洋館には意匠が凝らされた重厚なアンティーク家具が並び、
甲冑などをインテリアとして飾り、
当時は仕事道具であっただろうタイプライターも、今となってはインテリアです。
なかでも調度品には生活感を感じるものが多く、
お酒を楽しむ社交場としての空間には、とびきりセンスが光っています。
更には調理場を公開しているところもあり、
明治期とは思えない文化を感じることができます。
そんな調度品もフランスの老舗ブランドが作るスーツケースで運ばれていたようで、
古今、良きモノは時代に流されず愛されると言うことを象徴しているかのようです。
このような歴史の証人でもある異人館も、最盛期には100棟以上建ち並んでいたようですが、
戦火や都市計画、老朽化に災害等によって姿を消し、今では20数棟だけとなってしまったようです。
現代日本の街並は、あまりにも広告看板に満ち溢れ落ち着きのなさを感じます。
この中途半端に取り入れてしまった資本主義偏重の街並みを変えていきたいですね。